Mag-log in第34話 信長の太政大臣
1593年、織田信長は六十歳を迎えた。
戦乱の世を終わらせ、日本を統一した信長は、征夷大将軍の職を嫡男の信忠へ譲る決意を固めた。海外交易の拠点である肥前名護屋城と安土を行き来しながら、これからは幕府の日常的な政務を信忠に任せ、自らは日本の外へ目を向けようと考えたのである。
朝廷も信長の意向を受け入れた。
信長は征夷大将軍を退き、新たに正一位太政大臣へ任じられた。太政大臣は実務を伴わない名誉職に近い地位であったが、天下を統一した信長にふさわしい、臣下として最高の官位である。
そして信忠には、新たな征夷大将軍への就任が認められた。
ところが、信忠がそれまで務めていた関白との兼任については、朝廷から許しが下りなかった。
任官を告げる御所の広間では、公家や武家の重臣たちが居並ぶ中、帝の側近が厳かな声で宣旨を読み上げていた。
「従一位関白織田信忠を、征夷大将軍に任ずる。以後、安土幕府を率い、武家を統べ、国の安寧を守るように」
第47話 明智光秀の裏切り! 姫路城では、明智光秀がいつでも出陣できるよう五万の兵を集め、武具や兵糧を整えていた。 龍之介に対しては領国から動かぬと約束したものの、安土城に籠もる織田信忠と観音寺城を守る秀信のことが気にかかり、何もせずに情勢を眺めていることなどできなかったのである。 光秀は中国各地のみならず、近江や都にも忍びを放ち、織田信忠と三上龍之介正圀の戦いについて、わずかな動きも見逃さぬよう情報を集めていた。 その日、光秀が姫路城の広間で軍勢の配置を確かめていると、一人の忍びが慌ただしく駆け込んできた。「申し上げます! 観音寺城が関白方の攻撃を受け、降伏いたしました!」「何だと……。秀信様は御無事なのか?」 光秀は立ち上がり、報告に来た忍びを鋭く見据えた。 忍びは一瞬ためらった後、深く頭を下げる。「織田秀信様、討ち死ににございます」「討ち死に……?」「城内で降伏を巡る混乱が起き、その最中に何者かに討たれたとのこと。詳しい状況までは分かりませぬが、三上方の手の者による暗殺ではないかとの噂が、城兵の間に広がっております」 光秀は言葉を失った。 近江八幡城で龍之介と向き合った際、信忠と秀信が降伏するなら命を助けると約束を取りつけた。二人を出家させ、遠国で蟄居させるという条件まで認めさせたのである。 だからこそ、光秀は領国へ戻り、龍之介の命令どおり動かずにいた。 ところが観音寺城は降伏し、その直後に秀信が討たれた。「やはり……関白は、織田宗家の嫡流を根絶やしにするつもりであったか」 低く絞り出すような声には、怒りと悔しさが入り交じっていた。「殿、いかがなさいますか。関白殿下とは、兵を動かさぬとの約定がございます」 家臣が恐る恐る尋ねると、光秀は拳を強く握り締めた。「その約定は、信忠様と秀信様の御命を助けることを前提として結んだものだ。秀信様が討たれた以上、もはや守る
第46話 観音寺城決戦! 龍之介は、安土城の信忠が動き出す前に観音寺城を落とすと決めた。 安土城の監視には、最上勢五千と織田信孝の兵五千を残している。信忠が六万の大軍を率いて城外へ出た場合、わずか一万で食い止めることは難しい。それでも、敵の動きを一刻も早く知らせ、街道を塞いで進軍を遅らせることはできる。 その間に観音寺城を落とせるかどうかが、この決戦の行方を左右することになる。 龍之介は六万八千の本隊を率い、観音寺城の大砲が届かない場所まで進出した。城方の大砲の最大射程は、すでに忍びの調べによって把握している。その限界よりわずかに外れた場所へ陣を築き、龍之介は改良を重ねてきた主力大砲を並べさせた。 後装式で、砲身内部に施された工夫によって遠距離まで砲弾を飛ばすことのできる新式大砲である。前世の記憶にある名を用い、龍之介はこれを『アームストロング砲』と呼んでいた。「目標は観音寺城天守。初弾を撃った後、着弾地点を確かめて狙いを直せ。いたずらに城下へ砲弾を落とし、民を巻き込むことは許さぬ」「はっ!」「砲撃、始め!」 龍之介が軍配を振り下ろした瞬間、並べられた大砲が次々と火を噴いた。 耳をつんざく轟音が山裾を震わせ、白煙の中から放たれた砲弾が観音寺城へ向かって飛んでいく。最初の数発は石垣や塀の付近へ落ちたが、砲兵たちはすぐさま狙いを修正した。 続く砲弾の一つが、山上に築かれた天守の壁へ命中した。 激しい爆発とともに白壁が吹き飛び、瓦や木片が斜面へ降り注ぐ。さらに砲撃が続き、観音寺城のあちらこちらから土煙が上がった。 龍之介の脳裏には、前世で学んだ戊辰戦争の会津若松城攻防が浮かんでいた。砲弾を城内へ撃ち込み、守る者たちから戦意と休息を奪い、一気に降伏へ追い込む。 もっとも、龍之介の大砲は、幕末に使われたものよりも改良されている。前世で技術者として積み重ねた知識に加え、三上家の鍛冶師や鋳物師たちが何年も試行錯誤を繰り返し、ようやく実戦へ投入できる段階まで仕上げたものだった。 観音寺城からも、ただちに反撃の砲声が響いた。
第45話 安土決戦、幕開け 近江八幡城の城下を埋め尽くすように、大軍が集結していた。 嵐山城から二万、近江八幡城から三万。さらに、かねてより都近郊で出陣の支度を整えていた伊達家と最上家の兵が合わせて二万、二条城を無血開城して龍之介に降った織田信孝の兵が五千、帝より預けられた禁裏直属の兵が三千。 総勢七万八千に及ぶ大軍であった。 城下の街道には具足をまとった兵が列を作り、馬に引かれた移動式大砲や、弾薬を積んだ荷車が途切れることなく並んでいる。白地に赤い日輪を描いた錦の御旗と、龍之介が帝より賜った菊水の旗が、冬の冷たい風を受けて力強くはためいていた。 その光景を馬上から見渡した龍之介は、静かに息を吐いた。「これほどの兵が集まりながら、まことに心強いのは数ではない。あの錦の御旗だ」 龍之介の傍らに控えていた影鷹が、鋭い目で軍列を見渡しながら応じる。「すでに近隣の国人や豪族の中には、織田方から離れる動きを見せている者もおります。信忠方として参陣した者たちも、錦の御旗へ鉄砲を向けることには迷いがあるようにございます」「当然であろう。織田宗家への忠義を尽くすことと、帝へ弓を引くことは同じではない。信忠殿は、その二つを無理に一つへしてしまった」 帝の詔によって征夷大将軍の職を剥奪された以上、信忠に従って戦う者は朝敵とみなされる。戦国の世を生き抜いてきた武将にとって、朝敵の汚名は領地や家名を失いかねないほど重いものであった。 錦の御旗が掲げられている限り、織田宗家の譜代や直属の家臣を除けば、龍之介と本気で戦おうとする者は多くない。 しかし、それだけで勝てるほど、目前の戦は容易ではなかった。 織田信忠は安土城へ六万の兵を集め、嫡男の秀信と、その後見役を務める前田利家は観音寺城へ五万の兵を入れていた。領国の沿岸部を伊達・最上の蒸気機関鉄甲船に砲撃されながらも、徳川家康と上杉景勝は兵の一部を近江まで進め、すでに織田方へ合流している。 敵の総兵力は十一万。 数の上では、龍之介の軍を大きく上回っていた。 しかも安土城と観音寺城は、互い
織田信長の娘である歩美は、信忠とは母を異にする兄妹であった。 もっとも、兄妹とはいっても親しく言葉を交わした記憶は少ない。幼い頃から互いに異なる御殿で育ち、歩美が三上家へ嫁いでからは、顔を合わせる機会さえほとんどなくなっていた。 それでも、同じ父の血を引く兄妹であることに変わりはない。 歩美は龍之介が水戸城から嵐山城へ向かう際、正室として同行していた。父・信長が亡くなった今、夫を支えることこそ自らの役目だと考えたからである。 ところが、信長の葬儀を終えて間もなく、信忠が龍之介討伐の兵を挙げた。 織田家と三上家は、ついに敵味方へ分かれてしまったのである。 嵐山城では昼夜を問わず兵が行き交い、城内の鍛冶場からは武具を修繕する槌音が絶えなかった。廊下を進む小姓や侍女の表情にも、戦を前にした緊張が浮かんでいる。 そのような中、歩美は龍之介の私室を訪れた。 部屋の中では、龍之介が畿内の絵図を広げ、諸将の配置を確かめていた。二条城はすでに無血開城し、都は朝廷方が押さえている。次なる目標は、信忠の籠もる安土城と、秀信が守る観音寺城であった。「旦那様、お話ししたいことがございます」 歩美の声に、龍之介は絵図から顔を上げた。「どうした。そのように改まって」 歩美は部屋へ入ると、龍之介の前で静かに三つ指をついた。伏せられた顔は青ざめ、その肩はわずかに震えている。「覚悟はできております」「ん? 何の覚悟だ?」 思いもよらぬ言葉に、龍之介は眉をひそめた。 歩美は一度唇を噛み、それから意を決したように顔を上げる。「私は、織田家から三上家へ嫁いだ者にございます。その織田宗家が三上家へ弓を引いた以上、私もただでは済まされぬことは承知しております」「ただでは済まぬとは、どういう意味だ?」「打ち首を命じられようとも、離縁されようとも、異存はございません」 龍之介はしばらく目を瞬かせていたが、やがて堪えきれないように声を上げて笑った。「ははははは!」
第43話 明智光秀、単身来訪 二条城を無血開城させ、京の都を完全に掌握した龍之介は、二万の兵を率いて近江八幡城へ入った。 次に攻めるべきは、信忠が籠もる安土城と、秀信や前田利家が守る観音寺城である。 二つの城は互いを支援できる位置にあり、片方だけを攻めれば、もう片方から背後を突かれる。龍之介は城内の広間へ地図や縄張図を広げ、家臣たちと同時攻略の手立てを考えていた。 そこへ、小姓が慌ただしく入ってきた。「関白殿下、御評定中のところ申し訳ございません。明智光秀殿より使者が参っております」「光秀殿からだと?」「はっ。関白殿下へ直接申し上げたいことがあるため、御目通りを願いたいとのことでございます。いかがいたしましょうか?」 明智家は、王政復古の大号令が発せられた後も信忠方に付いている。今の龍之介にとっては、明確な敵である。 その明智家から、戦を目前にして使者が訪れた。「武器を預かり、身体を十分に改めたうえで面会の間へ通せ。ただし、無礼な扱いはするな。使者を斬るような真似をすれば、こちらの名を汚すことになる」「かしこまりました」 使者は供を連れず、ただ一人で来たという。 龍之介は、その話を聞いた時から、使者の正体に心当たりがあった。 しばらくして面会の間へ向かうと、旅装姿の男が床几に腰をかけ、頭を深く下げたまま待っていた。 武器はすべて預けているものの、その姿勢に怯えはない。敵城の中へ一人で入ってきた者とは思えないほど、落ち着いていた。 龍之介は上座へ腰を下ろした。「面を上げられよ」 男がゆっくりと顔を上げる。 龍之介の予想どおり、そこに座っていたのは、使者などではなかった。「光秀殿……御本人が自らおいでになったか」「偽りの身分で参上しましたこと、まずはお詫び申し上げます」 明智光秀は、深々と頭を下げた。「関白殿下には恩義がございます。たとえ今は敵対する身であろうとも、礼儀を尽く
第42話 龍之介の決意 龍之介は、ついに決心した。 織田信忠を討つ。 それは、龍之介が望んでいた結末ではなかった。 信忠が三上家を討とうとせず、これまでどおり朝廷と協力して天下を治めるのであれば、龍之介も関白として織田宗家を支え続けるつもりだった。織田家から天下を奪う野心も、自ら新たな幕府を開こうという考えもなかったのである。 しかし、信忠は信長の葬儀が終わるや否や、諸大名へ三上家討伐の命令を送った。 龍之介が恐れていた未来が、現実となって動き始めてしまったのだ。 もともと、こうなる可能性があることは、自らの陰陽道によって知っていた。 信長が亡くなれば、信忠は龍之介と嫡男八幡の存在を恐れ、三上家を滅ぼそうとする。占いによって見えた未来を避けるため、龍之介は伊達、最上と盟約を結び、各地の城を強化し、兵器の改良を続けてきた。 それでも心のどこかでは、未来が外れることを願っていた。「信忠殿が私を恐れる気持ちは分からぬでもない。しかし、何もしておらぬ者を謀叛人と決めつけ、先に討伐を命じたのは信忠殿だ。ここで何もせずにいれば、妻も子供も家臣も領民も、すべて巻き添えになる」 嵐山城の天守から冬の京を眺めながら、龍之介は静かに言った。 傍らに控えていた家臣が、慎重に尋ねる。「信忠様が軍勢を退かれたとしても、もはや和解はなさらぬのでございますか?」「今なら、信忠殿が兵を収め、帝へ恭順するのであれば命までは取らぬ。しかし、征夷大将軍の地位を利用して再び我らを討とうとするならば、二度目の機会を与えるつもりはない。織田宗家の武力を解体し、天下を朝廷へ返す」 龍之介が最初に行ったのは、織田宗家から征夷大将軍の職を奪うことだった。 信忠が三上家を討つために利用しているのは、征夷大将軍として武家を統率する権限である。その地位さえ失わせれば、信忠が兵を挙げた時点で、帝の命へ背く賊軍となる。 龍之介は、信忠が素直に将軍職を返上するとは考えていなかった。 王政復古を宣言すれば、信忠は必ず反発して挙兵する。その時







